2019.8/30から9/1にかけて、ChamonixをスタートしMonblancを一周するトレイルランのレースに出場して来ました。とっても長文となっていますが、興味を持たれたところがありましたら、読んでいただければ幸いです。

1.UTMBとは、そして出場権獲得まで
2.準備からChamonix到着まで
3.到着からレーススタート直前まで
4.レース前半エイドU8 Courmayeurまで
5.レース後半 CourmayeurからFinish
6. サマリー

1. UTMBとは、そして出場権獲得まで

UTMBとは Ultra Trail du Mont Blancモンブラン の略で、幾つもの距離のレース(UTMB171、CCC100km、TDS145km、PTL300km、OCC etc.)を主催しているブランドの総称です。その中での冠レースがUTMBと称して一番人気で、今回出場した大会です。距離や厳しさだけだとPTLの300kmや他の大会のトルデジアンTor des Gllaciers(450km,330km,他)などまだまだあります。

今回出場したこのUTMBは、フランスのChamonixシャモニーの街をスタートし、モンブランの大きな山塊の周囲をぐるっと一周する171km、獲得標高は10000mを超えます。それを、46時間30分の制限時間で駆け抜けるものです。参加人数は、世界中から集まった2500名、日本からは毎年250名とか聞きます。(2019年は実際のスタートした日本人は180人ほど)

今年は出走者数2543人、完走1556人で完走率は61%でした。天候には比較的恵まれたレースでしたが、国内のレースと比較しても完走率は低い厳しい大会だと言えます。

今年の結果がまだサイトには掲示されているようです。使い方が複雑ですが、非常に機能豊富なサイトでレースの分析が可能なように作られて居ます。レースに挑戦される方には、事前の戦略立案にも使えると思います。
https://utmb.livetrail.run
https://utmbmontblanc.com/en/live/utmb

コースはこんな感じで、フランス、イタリア、スイスの3カ国を巡ります。標高差も累計で10000mを超えます。富士山を下から2.5回分上り下りする感じですか。

 

コース上には、エイドステーションと言って、平均10kmおきに簡単な食べ物や飲料が置いてあります。フォークとナイフのマークのあるところです。それ以外に長いエイド間の間を補うように水やコーラー、炭酸水などの飲料のみのウォータステーションがあります。それらの場所と他に何箇所か通過時刻を計測するチェックポイントがあります。コース上には何箇所もライブ中継のカメラや写真撮影の場所があり、選手の家族や友人が選手一人一人の途中の様子をライブで観ることができます。その為、日本で心配そうに応援している家族や友人とも繋がってる一体感があるのも魅力的な大会です。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は utmb_profil_2018-1-1024x423.png です

距離を実感してもらう為に、UTMBのコースを山手線と比較してみました。

 

日本では、NHKBSで激走モンブラン2009(鏑木選手)の放送以来人気が高まり、トレイルランナーの中では憧れの大会となって居ます。UTMBの規模の拡大とともに人気も高まり、年々参加するための出場枠が厳しくなって、数年ごとに見直されて来て居ます。

出場権を得るには、まず年末に抽選にエントリーしますが、エントリーに必要な要件は直近の2年間で100kmのトレイルランの大会を3つ以上完走して15ポイント持っていることです。僕の場合は、129km(6ポイント)と100km(5ポイント)、70km(4ポイント)あたりの組み合わせでエントリーできました。1年目は抽選が外れて2年目に当選して出場が叶いました。今年までは、3回目の抽選は優先権が与えられ必ず3回目には出られる状況でした。とはいえ、行きたいと思ってから3年から5年は掛かるので、その間100kmレースを完走できる走力を維持し続けるのはそれなりに大変です。ですので、年明けに抽選の結果で出場が決まった時は、とっても嬉しかったです。

実際出場して見て、その大会に出られた喜びは予想を大きく上回るものでした。とにかく、楽しかった。完走できたからと言うのもありますが、大会の大きさ、華やかさ、応援する人々、コース、環境、景色、どれをとっても日本では味わえないものが多く、憧れるのも頷けます。こうやって、参戦記を書いている私自身、他の方の意欲を掻き立てることになるのでしょう。

ただ、レース後が少し大変です。あまりにも非日常的で楽しかったこと、この数年の目標を達成してしまったので、言うなれば燃え尽きました。といったところです。周りの友人もUTMB出たら卒業だと言う人が何人も居ます。自分も、完走できたら卒業しようと思ってました。今後はトレイルラン や山をゆっくりと楽しんで走りたいと思って居ます。また、もともとトライアスロンクラブに所属してたので、日々の運動は暫く休んで居たトライアスロンに戻ろうと思っているところです。

 

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2. 準備から現地到着まで

1.当選後の正式な申し込みと手続き

 1月正月明けに抽選結果がメールで届く。昨年と今年は1月12日でした。

件名は、「UTMB – Draw result」

落選の時は、本文に、We are extremely sorry. とあります。それとエントリー預託金の50Eも返却しますと書いてます。

 

そして、当選した時はこのようなメーッセージが来ました。

alt_text
The adventure begins today!
 

 

 本文には、出場をする場合は1月23日まで参加費を振込してくださいとの連絡が書いてあります。自分は忘れない内に即支払いました。トータル275Eで日本と比べ同等以下と高くない。

入金したら、「Registration confirmation – UTMB」の題名でメールが来ます。

これで、出場が正式に決定です。

その後は、抽選でエントリーした時に作った個人ページMyRunnersPage上で順次手続きをして行きます。

各項目に締め切りが書いてあるので、期日までに入れるようにします。

一番引っかかるのは、Medical certificate 医師の診断書(大会の専用フォーマット)かと思います。

私は近所の掛かり付けの診療所があり、スポーツ性貧血の治療で定期的に鉄剤を貰ったり、レースの結果を報告したりしていました。以前もレースの為の診断書をもらったこともありました。今回は、大会の説明書(距離、標高差、期間、場所など)と診断書の記入見本(原紙が英語とフランス語だったので日本語訳見本)を作って、絶対出たいと言って持って行きました。そしたらありえない程格安で診断書を書いてくれました。

多くのアスリートは健康だと病院に行かないですよね。そのため、身近なお医者さんがいなくて苦労したとか、高額だったとかネットに載せてる方がちらほらおりました。一見さんだと、検診を受けてからでないと出せないときは、結果が出るまで時間がかかったりしますので、早めに動き出した方がいいと思います。人間ドックの数年分の結果や大会の参加記録一覧などを持って行くのも手だと思います。

旅行の手配

ホテル

当選後にホテルを直ぐに検索しましたが、Chamonixの街中のホテルはすでにほとんど満室で、どんどん埋まって行くようでした。土地勘がないのでスタートに近いホテルを仮予約(キャンセルができる)しました。1泊3.5万円だったので、少しでも節約のために、8/28,29、9/1と3日間のみ押さえました。これだと、途中リタイアすると泊まるところがなくなるという事態になりますが。

ただし幸い、サポートをお願いした際に相部屋宿泊(Airbnbで)の相談が出来たので、7月に解約してコンドミニアムのコテージに変更できました。そちらは4泊で一人3.5万円になり、場所は遠いけどとても快適に過ごせました。そして、自炊できる方が絶対にいいと思いました。

フライト

飛行機は、徐々に高くなるとか、取りにくくなるとかと思ったので1月中に予約しました。

帰りにローマ観光と言う条件で、中国南方航空103000円で決めました。行きが羽田、広州、アムステルダム、ジュネーブ と2回乗り換え、帰りはローマ、広州、羽田でした。羽田出発は楽ですが、広州の乗り換えはお勧めできませんでした。クレジットカードのラウンジが無いことや、Google、FacebookなどのSNSが使えず、5時間近くをコーヒーショップで待つのはちょっと辛かったです。WiFiをパスポート認証で利用証を発行したんですが、デバイス1個しか使えず、スマホに割り当てたら、持ち込んだPCはネットに繋げないなど不便な思いもしました。また、飛行機が中国人観光客で満席だったのと、トータルの移動時間が長いフライトになってしまい、次回から避けようと思いました(次回があるか?)。ちなみに、自分の周りのフライトはカタール航空がほとんどでした。

バス

ジュネーブ 空港からChamonixシャモニーの宿までは、土地勘の無い1人ならドアツードアで運んでくれるMountain Drop Offsが割高(38E)ですが安心でした。フライトの遅延などにも対応してくれるのでいざという時は安心です。予約はする際にホテル名を入れる必要がありましたが、その後ホテルを変更したので(ネットからはもう変更ができず)心配しましたが、当日運転手さんに新しい宿の住所のプリントを渡してたら大丈夫でした。乗合なので、ホテルの順番に回って行くので、変更した際は是非乗車前に空港の受付カウンターか運転手さんに伝えて下さい。また、3月に予約しましたが、7、8月でも可能だったかもしれません。(8月ごろ、大会からメールで募集が来ていましたから)

また、今回、帰りはGeneve空港を使わず、ローマ観光なので、GeneveーMillanoーRomaの列車の予約を入れました。

そのため、ChamonixからGeneveの駅までは、定期シャトルバス(数社運行)で時間の良いSwissToursの便を8.99Eで予約しました。安いですね。激混みで1台に乗り切れず、2台目のバスが来るとその場でアナウンスがありました。結局15分遅れぐらいで済みましたが、遅延することも予定に入れておいた方がいいと思います。また、これでも空港まで行けるようです。

 
サポートの依頼

今回のレースにおいては、サポートを依頼できたことがとても大きかったです。RaidLight主催のUTMFの試走会に参加した際に主催者の阿部吉郎さんを知り、UTMB戦略ミニセミナーにも参加してサポートをやってることが分かって、6月ごろに正式にお願いをしました。料金もリーズナブルで、宿や持ち物、レース攻略まで色々アドバイスをもらい、加えて同宿の仲間もできて最高のサポートをしてもらいました。2回目出場する事があって慣れたとしても、また必ず依頼すると思います。

 

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 3.到着からレーススタート直前まで

宿に着く

Mountain Drop Offsのマイクロバスで空港から宿までドアツードアで到着。荷物が有り初めてであることを考えると、ドアツードアのサービスが絶対安心。

宿は街の中心から15分、激坂をしばらく上ったところにあり、山小屋、ロッジ風のコンドミニアムに6名+3名ご家族で宿泊。3階建てに4部屋。皆んなで割ればかなりお得。この宿は、サポートのヨシロウさんがAirbnbで予約してくれました。自分で高額で予約したホテルの1/3で済みました。

日本の感覚でいうと宿に**荘とか、**民宿という名前があるものと思い込んでいましたが、そんなものはここは無く、住所そのものがIDを兼ねているようです。ですので、Mountain Drop Offの予約で宿泊場所の名前をいう時は、番地までの住所を登録(伝える)すればよかったです。ちなみに、バスの予約時期がはるかに前で、宿が決まったのがレース直前だったので、送迎先が以前の仮のホテルで登録されていました(ネットで変更できず)。なので、バスに乗ってすぐ運転手に宿の変更を伝えましたが、何とかなりました(念のために地図もプリントしていた)


大きなキッチンとリビングとベランダがついているため、とっても便利で居心地が最高。
バスタブは全体で1つで他はシャワー。
初日は、お湯が出ないとかトイレットペーパーが無い(6人で1.5ロール以下)などなどのトラブルもあった。
それにドラム式洗濯機があったが、悪戦苦闘。全員使い方が最後まで分からずじまい。
大きな冷蔵庫があり、各自買ったものを保管でき便利。
他に、調味料や使い掛けのものがいっぱいあったが、オーナーのものと思って誰も最後まで手を出さなかった。しかし、最終日になって気づいたが、どうやら宿泊客が余ったので置いて行ったと言うのが正解の気がした。なぜなら、我々も色々余ったのだった。
また、結局オーナーは初日に第一号宿泊客に鍵を渡しただけで、その後ゴミのことやどこまで使ってもいいのか何も説明無しだった。おおらかーっ。
掃除は行き届いていて、全体的に清潔できれいでした。木のぬくもりが温かみがあったからよりリラックスできたかも。来るならまたここだな。

 

こんな外観で、ベランダからの眺めも綺麗!

 

シンク、コンロ(4つ口)、他に、鍋、皿、コップ、フォーク、ナイフがいっぱい常備。箸は無かった?

 

ベランダも広い。天気がいい時は洗濯物を干したり、体も干せる

 

ベランダからの眺めー。

 

リビングテーブルを囲んで食べたり、飲んだり(レース前は断酒!?)

  

 

大きなソファーもあった。暖炉もあって火を見ながら寛げる。冬はいい感じだろうな。

 

食事は各自で

各自で気ままに自炊。
とはいえ、食事タイムには何となくみんな集まり一緒に食卓を囲む。
合宿に一番近いが、だんだんと家族のように親しくなった。

調理は、切ったり、電子レンジで温めたり、ボイルする程度で食べられるものが主体。
自分はご飯やレトルトカレーや梅干しを持参。他の人は煮魚なども持って来ていた。
また、本当は肉を食べたいが調理が難しいので、手軽なハムやソーセージ、ゆで卵でしのいだ。

記念すべき1食目はご飯とレトルトカレーでしたが、回数を重ねるたびに知恵が付き、品数が豊かになっていった。

写真は私の食事例

 

食料の調達

街までは激坂を下りて約15分でお気に入りの「SuperU」があり、主にみんなそこで食材を買ってきてました。
当然帰りは激坂上り! 171kmの山道を走ろうとする人が、こんな坂と思うでしょうが、乳酸も溜まり汗かきました。

値段は、ほぼ日本の普段使いのスーパーと同じ感覚でした。観光地と考えるとかなり安いと思う。
支払いは、現金だと小銭が溜まるのとまごつくのが嫌なので主にカードを使いました。もちろん現金で払う人も多いです。


自分でカードを差し込のみ(入れる方向を間違えると認識しない)、
(言語を選ばされるときもありEN英語を選択)、
暗証の4桁のPin番号を入れ、右下の緑のボタンを押す。
「Correct. Remove the card」 と出れば清算終了。
ローマでもほぼ同じ手順だった。

 

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電話の設定

大会では、レース中の事務局からの連絡の為SMS(電話番号へのショートメール)を常時受信できるようにすることが必要でした。そのため、電話番号を大会ホームページのマイページにレース前に登録が義務付けられていました。また、サポート内の連絡をMessengerのグループ機能を使って行ったので常時使う。それ以外にも旅行中は何かと使うので、安くて通信が便利な海外SIMを初めて導入しました。

ですが、その設定がうまくいかず1日あれこれモヤモヤしたので、自分のケースですが対処方法など他の方へのご参考までにメモします。

機種はiPhone7、格安スマホのmineoで契約しています(海外ローミングのサービスはありません)。日本にいる間にAmazonで海外SIM(イギリス Three 12G 30日間 60ヵ国 2150円)を購入し、飛行機の乗り換え待ちの時にSIMを交換しました。Geneve空港に到着すると、メーッセージ(SMS)に、そのSIMの会社からのメーッセージが届いたので、無事開通と喜びましたが、ブラウザーが動かず「インターネットに繋がっていません」との表示がされるだけで、電源入れ直しも効果なし。色々とFreeWiFi環境で調べたり、人に聞いたりしましたが、結局次の対応でつながりました。

設定>モバイル通信>通信のオプション(だったと思う。日本のSIMに戻したら下記の画面が出てこないので、海外SIMを入れた時のみ出てくる画面らしい)
SIM交換と電源再起動では、MMSの欄のAPNは自動で書き換わっていたが、モバイルデータがmineoのままだった。恐る恐るMMS欄と同じように、three.co.uk(他は空欄)を入れたら、無事にブラウザーやLineも使えるようになりました。

また、帰国して日本のSIMに入れ換えた時は、自動で書き換わったみたいで何もせずに電源入れ直しで通信できました。

実は、次の受付でスマホの通信チェックがあったら困るなと思っていたので、その直前に直ったのでほっとしたところでした。実際には、電話番号登録や通信のチェックはありませんでした。

 

レース受付へ

到着第1日目に早速受付に同宿のコマツさんと行く。事前にネットから行く日時を入力してはいたのだが、問題なく受け付けをしてもらえました。

市民スポーツセンターで受付に外まで並んで順番を待つ。長さの割に進みは早い。

 


受付では、必携品の中から選抜したリストからトレーに入れてチェックを受けました。そのチェックリストは、時間か日にちによって変わるようでした。今回は、ザック、レインウエア(上のみ)、水のボトル、スマホ、ホイッスルぐらいだった。UTMFや武尊SkyViewなどに比べると非常に簡単。かつ必携品に指定されている品目が少ない(国を跨ぐこともあり、パスポートが必携品になっている)。自己責任が徹底しているからなのか、ベテランしか来ないからと思ってるのか。日本人が真面目過ぎるのか、逆に必携品を全数チェックしないと事故った時の対応が大変なのを避けるためか。いずれにしろ、最後は事故責任ですね。

そして、その必携品は天候や日時がどうであれ常時持つことが義務付けられています。

なお、レース中は夜間に山へ上るタイミングのエイドでは、スマホとレインウェアとライトのチェックが行われました。今回は自分は2箇所で受けましたが、どこだったか忘れました。

また、ザックにはタグを取り付けて、レース直前でもレース中でも変更することは出来ないというルールは理由がよくわかりませんでした。


最後に、腕に選手としての証のバンドをしっかりとはめて完了。

受付から出たあたり(受付のところの写真撮り忘れた)。

カードを首から下げているスタッフが着てるオフィッシャルTシャツが欲しかったのに買いそびれました。

 

受付の後は、記念撮影。(コマツさんと)
また、受付では同宿のタカシマさんらと一緒になった。

 

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Chamonixの街

UTMBは一週間の会期中にいろんな距離のレースが開催され、それらのゴールが日々見れます。実は、最初走ってくる選手がトレーニングしてるだけだと思ってて、スルーして居たらレースだったと暫くして気づいたのでした。

TDSの選手が145km走って街にたどり着いたところ。かける言葉が分からないので、心を込めて拍手してましたが、胸が熱くなった。自分もこのChamonixに絶対帰ってFinishしたいと心から思いました。

 

このゲートからスタートしここにフィニッシュする

 

万国旗。会期中だけなのか年中なんだろうか。

 

世界には沢山の凄い(きつい)大会があって、それらのブースの一つ。
カメラ向けたらポーズをしてくれました。スロベニアのUTVV   

 

花が街や個人宅にもいっぱいでした

 

川のある風景。毎日のように夕立があるせいか川は濁って居ましたが、川は人を魅了しますね。

 

何度も通った通り、左右のレストランなどでは一度も食べる機会がなく残念。

 

レース前日、夕立の後偶然虹を観れました!

 

宿への帰り道、個人宅の赤い花とアルプスと青空と美女

 

レース当日の朝のジョギング、宿の付近で坂のない平地を選んで走る。実はあまりない。

  

 

レース当日朝のジョギング。ここに来れただけでも良かったと思える清々しい風景

 

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睡眠について

自分の場合、日本国内での100km以上のロングレースの時は(夜間も走るレースのような)次のようにしています。

・4、5日前から睡眠不足を避け、夜更かしをできるだけしない。飲み会では酒は飲まない。

・2日前からカフェインを断つ。

・2日前の夜は早く寝て翌朝は眠れるだけ2度寝3度寝でもする。
 合計10時間寝るときもある。

・1日前の夜は当然早く寝る。
(レースが早朝だと3時起きもよくあるので、最低でも7時間寝られるように寝る時間を逆算して就寝。)

・当日
今回は夕方18時スタートなので、朝食後眠くなったので又寝ました。多分他の方達も同じ。
寝すぎたせいでしばらくは頭痛がしていたが、歩いたり走ればすぐ治りました。

これらで、自分の場合は1晩は寝なくても大丈夫なことは過去のレースで何度か経験済みでしたが、2晩目に耐えられるかは未知でした。しかし、結果からいうと、2晩目に10分間だけ腰掛けたままの仮眠で、延べ60H近く寝なくても起きてられました。これらは、人により大きく違うと思うので、経験して試すしかないのかと思います。といっても、普段の生活で60時間も覚醒していることは、自分にもほぼ不可能です。レースや止むに止まれない事情のときだけ気持ちが張っててこそだと思います。

 

相部屋の気遣い

実は僕はイビキが酷いので、今回同室のコマツさん大丈夫だったのか、迷惑かけなかったのか最後まで気になってました。
これまでは、相部屋を避けるか、相部屋の場合は最終手段としてナステントという、鼻に管を通して気道を確保しイビキを減らす簡単な器具を持参して対応してました(今回も持参したが使わず)。

 

レース前日

移動の疲れをとりレースに備える日としてました。観光や準備や試走に当てることができます。

観光で人気があるのは、標高3,842mの エギーユ・デュ・ミディ Aiguille du Midi の頂上までのロープウェイで行き、アルプスの絶景を観るというのがあり、同宿の人たち何人か行きました。料金が7000円もかかると聞き断念。体力とお金の温存を優先しました。

それ以外に、コースの試走に希望者を連れてくよと案内があったんですが、行きたい気持ちもありましたが、飛行機の移動の疲れも取りたく安静コースを取りました。他の方も結局、この日の試走は遠慮したようです。

夕方16時にサポートのヨシロウさん達に、サポートしてもらうエイド4箇所分(ドロップバックのU8エイド除く)の荷物(主にジェルなどの食料や着替え)を預けに行き、レースのブリーフィングをしてもらいました。

サポートをしてくれるヨシロウさん、カオルさん、ミサコさん、他の宿の方々と。

 

サポートについて

結論から言うと、僕の場合はサポート無くしては完走が難しかったと思います。

レース中はいくつかのエイドで、食料や装備など持ちきれないものを受け取ったり、簡単な給食をしてもらったり、レースの戦略アドバイスをもらったりできました。また、トラブルがあった時の相談と対応をしてもらえる。今回はライトトラブルへの対処は本当に助かりました。リタイアした際の対処の相談も(幸い自分はありませんでしたが)心強いです。

さぽーとは、レース前からやっていただけ、レースに関するいろんな情報をもらえました。飛行機の予約、バッテリー、SIMのことまで情報をもらいました。個人で全てやると分からない事が多く聞く人も居ない状態と言うのは、心配でもあり準備に抜けのでるリスクもあります。

また、宿を今回のように相部屋で他の方と一緒にしてもらえるのは、とてもいいです。まず、友達ができるし、独りでないので気も紛れ、今回のようにとてもリラックスして過ごすことができました。レース途中は、応援してもらったり、選手同士も顔を見て声を掛け合うことで何度励まされたことか。その上、レース後も仲良くなり、帰ってからどこかの大会で会えるのが楽しみです。

と言う具合に、とても楽しいレースを送れた最大の理由はいいサポーターに巡り会えたからだと思います。ありがとうございました。

 

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レース当日

9時間ほど寝て、天気も良くやや涼しげな朝を迎えました。

数日体を動かしてないので、起きてすぐ宿の周りを散歩兼軽いジョギングをして体調を確かめました。

そして、朝ごはんをいっぱい食べ(ご飯とカレー)、また眠くなったので午前中2時間寝て、昼ごはん(ご飯、パンなど)の炭水化物中心にソーセージや卵も食べて、腹ごしらえ完了。

レース事務局のアナウンスでは、天候が安定してて極端な防寒仕様は不要とのことなので、それを考慮し最終的に荷物を「走る時に持つもの」と「U8エイドに預けるドロップバッグ」用を仕分けしました。少なくとも、昨年のような厳寒の懸念はなさそうで安心。

完成した荷物がこれ。
胸前面のボトルには水0.6L、背中のハイドレーションにはMusashiの水溶液0.5Lを入れて、大体の重量は4kgを少し超えたかも。赤い大きなプラスチック袋(ゼッケン付き)は、ドロップバッグで80km先のエイドで受け取るため、スタート前に預けに行きます。

 

 

そして、いざ出陣

スタートが18時、ちょっと早いが15時過ぎに宿の仲間6人で宿を意気揚々と出発。

ワイワイと楽しかったせいか、リラックスでき、不思議なほど緊張もプレッシャーも無い。

今日これから夢だったアルプスの山々を、UTMBを、走れるんだいう喜びの方が大きく、気持ちはすでにハイテンション。

 

 

街中に近づくと徐々に賑やになり、あちらこちらから選手が合流し始める

レース前

会場へ向かう途中、街の中心部付近にある湧き水をレース用のボトルに詰める。

 

 

スタート地点に行く前に、先ずはデポバッグを預けます。

このデポバッグと言うのは、2日間すべての荷物を背負うのは大変なので後半に使うものなど、補給食や着替えなどを各自必要な物を入れておいて、レース中盤のエイド(81km Courmayeurクールマイヨール)で受け取ることができるシステムです。もちろん、そこで不要になったものを入れて軽くすることも出来ます。ただし、必携品は常に持つ必要があります。

ここでは、ボランティアのご婦人が鮮やかな手つきで紐を結んでくれました。

それを持って自分のゼッケン番号(bibs)の受け入れの男性の所に行くと、紐をチェックして 「Percfect!」と陽気な声が飛びます。

みんなフレンドリーで、レース前の緊張が和らぐー。

もちろん、テンションは益々上がる!

 

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選手が受け入れの所で結び方が悪いので、結び直されているところ。
「こうするのよっ!」とママから言われている子供のような様子(笑
実際は、とても優しくて熱心で頭がさがるボランティアのLadyです。

4.レース前半 Chamonix シャモニーから81km Courmayeur クールマイヨール

後はスタートを待つのみだが、2時間は間がある。

近くの芝生で根っころがって休息して、トイレ寄ってからスタート会場へ向かう。ここで既に、空は夕立の様相を示し始めた(ここ連日夕立があった。またレース途中で夕立というか、夕刻に山頂で雷雨に遭遇するというハプニングもあった)。

1時間前にスタート会場へ着くと、すでに会場は選手で埋め尽くされ奥に入れない。でも会場の横からの道から来たため中央よりは前に位置することが出来たので戦略通りだが、これから1時間は立ちっぱなし。先に来てた選手は地面に座っている。

そうこうする間、雨脚が強くなり皆雨具を取り出し着る。

会場は、DJのテンポの良いトークが続き(言葉が聞き取れないが)、あたりを見回したり友人と喋りながら時を待つ。

スタート間際には雨が止んだ

やがて、演出でもしたかのように時刻が近づいてくると雨が止んだ。

選手はウェアを脱ぎザックに入れて最後の準備状態に入る。

座って居た選手も立ち上がり、集団は前に詰め始める。

DJのトークはヒートアップし、「Conquest of Paradise」の曲が鳴る。何か、自分が戦場に向かう勇者にでもなった気分になる。続いて、音楽のリズムに合わせゆっくりとした手拍子で始まり、徐々に早くなり、拍手と大歓声で雰囲気は最高潮に達する。

憧れのこのレースが始まるんだ、その夢の舞台に今自分は立っているんだという感激の中、絶対に完走してここに戻るぞと誓う。そしてNさんと固い握手をしてお互いの健闘を祈る。

そして、最後のカウントダウンが始まった。

 

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スタート

8/30 18:00 大歓声とともに2543人がスタート。

スタートの雰囲気を動画でどうぞ(音がでますので注意)

UTMBと描かれたゲートの下を通りChamonixの街を駆け抜ける。

沿道にはびっしりと応援の人々が並んで声援を送ってくれる。混雑の中、人との接触に注意しながら進む。5分も進むと人がばらけ始めて走りやすくなるが、ここはオーバーペースは禁物なのでマイペースで走ったら(9km/h)、とにかく抜かれる抜かれる。

スタート地点でやや前に位置したのは、後方にいるとどうしても遅い集団の中のペースに埋もれて自分のペース維持が難しくなるため、やや早い集団の中に居て、追い抜かれながら自分に合ったペースの方がペース作りがしやすいためだった。その意味で位置どりは正解でした。

沿道では選手の家族や友人などが手を振り声援を送ってくれる。外人の応援に混じって、時折日本の方が自分に気づき、日本語でガンバッテーと応援してくれる。「ありがとう」と声援に応える。

これから、これらの応援の言葉を何度も(数百回は優に超えているかも、それほどたくさんかけてもらいました。その都度元気を貰いました。ありがとうございました。


U1 (8km地点)  LesHouches    Fri 18:54  (00:54:36経過)

最初の第1エイドU1まではほぼ平坦な8km。体を慣らすため負担の無いスピードで走って来た(8.8km/h)。

とは言え4、5日走って無いため動き出しは体は重い。だが、ここまでで疲労感や息切れも無いので体調は良いようだ。ここあでの平坦なロードで何百人に抜かれた気がする。後で知ったがここのエイドで順位は1745。

この次のエイドU2は13km先のSaint Gervais。800m登って1000m下る。塔ノ岳往復ぐらいの感じだ。

もうすぐ日が暮れ、深夜朝方にかけては気温も低くなるので、ここのエイドで防寒とライトの準備をした。

膝までのレギンスを穿き(これが翌日の熱中症の要因にもなったのだが)、ヘッドライトを頭に装着し、ポールをザックから出して両手に持ち、走り出す。この時、とにかく焦らない焦らないと自分に言い聞かせる。ザックから物を取り出す時に、うっかり落としたりしまい忘れやチャックの締め忘れなど、ちょっとしたミスが大きな

 

いよいよ上りの始まりだ。

富士山でポールの使い方を2回ほど練習したので、なかなかいい感じで進む。オーバーペースを避けるため、心拍数を150超えないようにする。まだ160kmあるのにも関わらず周りは速くどんどん抜かれる。

実は最初の関門が次のエイドU2に設定され(スタートから21km)、スタートから4時間以内で通過しなければならない。そしてその後もレース前半は、関門時間に余裕がない。遅い選手は前半は、頑張らないと関門に引っかかるリスクがあるのだ。

 

(スタートから12km付近)振り返るとこんな風景が。谷のずっと奥のシャモニーを出発し、谷の中央の川沿いを走りゲレンデを上って来た。谷の右側がモンブランの山塊で峰はもっと右にある

 

右に視線を移すと、そのモンブランはこれかな。

 

思いの外順調に初の山頂越え。しばし平坦地を進む、綺麗な夕闇が迫る。

 
トラブル発生

しばらくすると下りが始まった。道は比較的広く車が通れる林道の感じでそれぞれのペースで走れる。しばらく下りを走ると、足元が暗くなって来たのでライトのスイッチを押す。でも、、、、、、。

ええっー、つ、点かない! 

何度押しても点かない。焦るなと自分に言い聞かせて、路肩に身を避け、落ち着けと自分に言い聞かせながら、ザックを下ろし予備電池に交換してみる。

一瞬光ったあと、後は全く点かない。電池起因ではないようだ。ヘッドライトは一つしか無いので、最悪のリタイアの文字が頭に浮かぶ。これまでの高揚した気持ちが不安で一気に暗くなる。やむなく第2ライトの手持ちライトを取り出し点ける。こちらは明るく点灯したのホッとする。(後日談、帰国後荷物の整理をしていると、普通に点灯した。でもこんなリスクのあるライトはもう使えない)

だが、、、、手に持ったままだとポールが使えない。この先150km以上のアップダウンにポールなしでは力が持たない。リタイアにも繋がるトラブルの発生だった。

でも、サポートで代替があるかもしれない、あるはすだと希望を抱きながら先へすすむ。とりあえずの策として、危険な時以外はライトを消して、前の人のライトの明かりを見ながら両手でポールを使いながら進んだ。

 

U2 (21km関門22:00)  Saint-Gervais   到着Fri 21:28  (03:28経過)      

(写真は関門の30分前に到着できホッとしてるところ)

関門の30分前に到着できた。

コースの難易度と関門時間の設定のニュアンスが大体掴めた。自分の走力と今の体調なら、基本日本のレースの時の進み方で大丈夫そうだということが分かって来た。

実はレース後日分かったのだが、この時点での順位は2401位となんと前のエイドからたったの13kmで656人に追い越されて、ビリっけつGpだったことを知った。もしその時このことを知って居たら、逆に焦ってペースを乱してたかも知れない。ライトのトラブルもあったせいではあるが、周りがとにかく前半はかなり突っ込んでるということだ。

エイドでは、オレンジ、バナナ、パンなどを食べ、コーラでカフェインと水分を摂った。どうしても食べる気にならなかったのはチーズ。普段は好きなのに今ここでは口に合わない気がしレース最後まで試さなかった。

最後に水をボトルに補給し急ぎエイドを後にする。

次のエイドU3のコンタミんまでは13kmで、サポートが待ってくれてる。上り基調ながらアップダウンが何度か続くが、高低図上は厳しいコースではないと予想してたのでその点は気が楽であった。

そして、ライトの件をサポートに電話して相談すると、予備を貸してもらえることが分かり心底ホッとし力が湧いた。


また前の選手のライト頼りの戦術を踏襲し、道の悪いところでは手持ちライトを出し、ポールは片手にまとめて持つという走りにく体勢で進む。

 

 

U3 (31km 関門00:00) Les Contamines Montjoie コンタミン到着Fri 23:20  (5:20経過)      順位 2173

関門の40分前に到着。この10kmで223人追い越したことになっているが、そんなに追い越した気はしない。多分前のエイドで先に出発した事が効いているのか2178位に上がってた。実際の順位はレース中は全く分からず、中の下のGpに入ってればいいとは思って居た(それよりも下位だったようだ)

エイドでサポート受けるのは日本含め初だったので、サポート探しにテントをぐるっと回ってしまったが、Aさんの顔や見知った顔をみると安堵した。他にも若い男子、女子も居てあれこれと世話になった。

ライトを借り使い方を教わり頭にセット。預けておいた補給のジェルを受け取りザックに仕舞う。MUSASHI(スポーツドリンク)粉末をハイドレーションにいれ水で溶く。あとは、エイドの食べ物を物色し食べれるものをパクつく。ゆっくりする暇はない。

この先のサポートは50km先でドロップバックも受け取れる大きなエイドU8(レースの距離上は中間地点)クールマイヨールが次の大きな目標だ。そこまでは、2500mのピークを3つ(正確には4つ)越えるという難所を通る。

先ずは最初の2500mのピーク越えだ。距離は19km、1330m上り936m下る。エイドはU4、U5の2つ。体調がいいのであまり辛く無く進めた。

深夜となり気温も低くなって来たので途中でウィンドブレーカを着用する。このレースの為に薄手の透湿防水レインジャケットを新調したのだ。本格的な雨や寒さの場合用にはもっとしっかりしたレインスーツはザックの中にしまったままで動きは圧倒的に楽である。

また、今回のレースは昨年のような寒さは来ないとの直近の予想が出され、事実、上着はこの薄手のジャケットだけでザックの中の防寒用の化繊ダウンも出番なしだった。

U4 (39km 関門02:00) LaBalme 到着Fri 01:21  (7:21経過)      順位 2052

U5 (51km 関門05:15) Chapieux 到着Fri 04:12  (10:12経過)      順位 1939

51kmのさすがに疲れては来てるが脚の具合も良く、朝がたの寒さももう直ぐ夜明けと思うと気にならない。ここまでは、予想以上に順調であった。順位も徐々に上がって来ている。

次の目標エイドは、23km先のU8クールマイヨール、距離的な中間地点で大きなエイドである。
標高2500m超えのピークが3つだ。30kmの区間の累計獲得標高は上昇1690m、下降-2048mだが、本格的に上りは辛いと思った。多分標高が高く空気が薄かったためだろと思った。

 

Col de la Seigne (61km) 一つ目の最高地点標高2517m   到着Sat06:45 (12:45経過) 順位1674(-265)

夜道の上り960mをひたすら歩き続けやっと一つ目の最高地点に到達。ちょうど夜明けを迎える。動き続けている為寒さも感じず、また12時間以上経過してるが眠くはない。この地点の名のColとは山と山の間の低いところで、馬の鞍の凹んだところを指す言葉だそうだ。実際山と山の合間の低い鞍部であり、ちょうどコースが南下していたのがここから東に折れる地点であった。日の昇東側の展望が開けており、左側がモンブラン側となる。またここが国境でフランスからイタリアへ通過する。

ここのチェックポイントは、スタッフが選手のゼッケンのバーコードをハンディータイプのリーダーで読み取るだけの簡単なものだ。

これもあとで知るが、この区間で265人を抜いたようだ。とはいえ、トレイルで動いている時にガンガン抜いた感覚は無いのだが。徹夜のパートで3つ目の上りのためか、79人のリタイアが出て居た。走力以外に睡魔に襲われるかどうかもレースには大きな影響がある。

ここで、Garminの電池残量が6%しかないので、バッテリーに繋ぐ。充電が終わる数時間は、スマホで時間をチェックする。充電しながら計測できない924TXJがとても残念。これまでトライアスロン含めいくつもの長いレースを共にしたので可愛いのだが、、、ここだけはいただけない。

晴天を予感させる朝焼け。この天気が後に体調不良の原因となり、心が折れリタイヤの危機となるのだが。 

 

上って来た方を振り返る。

 

 

気持ちのいいアルプスの景色を眺めながら200m下りまた260m上り次の2565mのピークを通って、600m下れば次のエイドにつく。水平距離7kmあるので傾斜はそれほど無い。標高が高いが下りでは走れるので走る。酸素の薄さは全く気にならず、脚も調子のいいがとにかくマイペースを心がけ進む。そのため他の選手に徐々に抜かれたが後方にも大勢いたので焦りもなし。

 

途中、山の岩が氷河で削られ、その氷河がなくなって残った大きな石がごろごろとしたコースが続く。
注意して石の上を進む。

 

 

U6 (68km 関門10:00) Lac Combal 到着Sa 08:29  (14:30経過)      順位 1738(+64)

前のエイドから17kmも間があったので待ちどうしかったエイドにやっと着いた。来る間の風景に見惚れ写真を撮ってたりしたので追い越されてちょっと遅くなった。

ここは、さあ朝食だという時間帯である。オレンジ、バナナ、炭酸水。初めてパンとサラミを試した。意外に食えた。パンだけだと喉を通らないが、さらみの塩分と脂肪分で味がつき食べることはできた。でも米のご飯を食べた時の胃にしっくりくるあの感じは全くなく、それほど食欲が湧く食べ物ではなかった。
Garminの充電を終え、写真を撮って電池が少なくなったスマホに充電をする。スマホは必携品でもあり、写真も撮るのでバッテリーの携帯もレースを楽しむには必須である。

ここまでは胃腸の調子も良好。

このエイドで英気を養い次のエイド目指し先ずは457mを上る。

 
レース中の補給食の取り方

ここで、私の補給食の取り方を紹介する。

エイドで水分(主に炭酸水やコーラ)と果物、固形食を食べた以降は、1時間間隔でジェル(複数の味のMagonとShotsを、歩きながら取れるようにザックの外側の脇ポケットに入れておく)を1個飲み込むようにした。トップ選手からは30分おきと聞いたが、自分の運動量では1時間で丁度というのがこれまでの経験則。調子を崩した一時期を除きこのペースをレースの最後まで守った。実質的なエネルギーは固形食は消化に間に合わず、ジェルからに頼っている。

また、水分は背中のハイドレーションにMusashiを溶いた500mlをちびりちびりのみ、多くは胸の650mlの2本のボトルの水を飲む。そして、エイド間の距離や、暑さに弱いので暑いときに飲む分と被り水の分を考慮し大きめの2本のボトルの水の量を変えて対応。重くて嫌になるが、水切れの恐怖よりはずうっといい。

 

Arête du Mont-Favre (72km) 3つ目の最高地点標高2433m   到着Sat09:59 (15:59経過) 順位1756(+18)

標高が高いのでゆっくりと(休憩込みの時速2.7km/h)457m上り、稜線(Arete)に到達した。すると一気に視界が開け、別世界となっ。とうとうというかやっと主峰Mont Blancをはっきりと目にすることができた。氷河を抱いたゴツゴツのした巨大な岩の塊だ。左右にも形の異なる岩山を従えている(写真に収まらない)。ちょうどこの山の向こうがChamonixの街にあたる。

 

しばらく、景色に見とれて写真タイムとなった。
この道の先の緑の谷のどこかに目指すクールマイヨールがある。荒々しい岩山と緑の谷のコントラスト、いつまでも観ていたい風景だ。ここまで来れてよかったとしみじみ思う。


少し下ると、牧草を食む牛の群れ。写真では小さくてわからないが、画面に広く牛が広がっている。すぐ近くのトレイルを進むときは、牛糞があちらこちらに落ちていて当然その香りもする。何度もそんなところを通る間に匂いにも慣れ、見ても汚いとはあまり思わなくなって来た。

 

 

U7 (78km 関門なし 標高1975m) Col Checrouit Maison Vieille  到着Sa 10:47  (16:47経過)      順位 1768(+12) 下り速度5.5km/h

先のCol(稜線)から460m(4.5km)下って谷底のような場所にポツンとあるU7エイドに到着。

これより前、稜線付近から下る途中でヘリコプターが谷をかなりの速度で行ったり来たりしていた。するとやがてU7エイドと思われる所に機体を着陸させ、5分かそこらで飛び立った。その直後に自分はエイドに到着したが何があったのかは分からなかった。きっと具合悪い選手が運ばれたのだろうと思った。酷いのかな、手当てが間に合うといいがなどと思った。(後で、運ばれたのは同じサポートチームの一員とレース後にしった。結果は、なんとも無く病院の診察後返され翌日部無事帰国便にも乗れた。)無事も祈っ稜線から下りU7エイドと思われるすぐ出発。

すでに陽が高くなっており、標高は2000mと高いがウィンンドブレーカーを脱ぐだけで気持ちがいい。

ここから、さらに770mを下った先が、大きなエイドのクールマイヨールだ。景色を楽しみながらまばらとなったが周りの速度に合わせて無理のないペースで4.3km駈け下る(時速5.8km/h)。

 

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U8 (81km 関門13:15) Courmayeurクールマイヨール 到着Sa 11:34  (17:34経過)      順位 1728(-40)  時速5.8km/h

坂を下ると直ぐに街の狭い路地に入り、やがて広いところにでる。街はとても綺麗で道ゆく人たちが声援を送ってくれる。ここまで来たという嬉しさと声援で感謝の気持ちとともに気分も高揚する。



エイドの大きなスポーツセンターの前には大勢の人が両側に並び(多分選手の家族や友人も多いと思われる)、声をかけてくれる。距離のほぼ半分来て、体調も良くや脚の疲労も酷く無いのでとっても気分がいい。ここまでほぼ事前にBestな目標として目論んだ計画通りに進めていた。関門まで1時間40分とまた増やすことが出来た。

会場入り口でデポバックを受け取り、大きな会場のためサポートを探しきれないので電話をして場所に向かった。

サポート区画のテーブルの混雑がひどく、TシャツをUTMF2019(今年怪我で50kmでリタイアした時の参加賞Tシャツ)に着替えた。暑いので、下の膝丈レギンス(タイツ)も脱ぎたかったが混雑と人目もありコース上で着替えようと諦めた。

デポバックからジェルのみをザックのポケットに追加し、次のコースの簡単なレクチャーをもらい、食べ物のところへ行き、いつものオレンジやバナナ、確かスイカもかなり食べた。

加えて塩分が欲しいのでコンソメスープをもらう時脇にあったピラフをスープに入れてもらい食べた。あまり美味しくはなかったが炭水化物を余分に摂ろうとしたのだ。急いでいろんなものをお腹にかき込みお腹いっぱいにし、15分でエイドを後にする。

 

サポートの吉朗さんからは、エイドは休憩するところではない。だらだらと過ごすのではなく、目的をもって動けとのアドバイスが事前にあった。体調も悪くないのでエイドでは15分しか居なかった。加えてこのエイドでだけで124人がリタイアしたようで、エイドを出るときの全体の順位は265人追い越して1437位になっていた。(このことはレース中は全く知らない)

ただ自分は遅い方だろうと思って居たので聞くと、サポートを受けているメンバーの中で後ろから2人目とのこと。やはり遅い。が、自分の走力では計画通りとの認識だったので焦りもなく、自分自身のマイペースでレースを楽しめていた。

 

日本の家族に電話

声援を受け気持ちよくエイド出発。沿道の声援も減り適当な場所まで来たところで日本へLineで電話した。時差や電波状態を考えたら今がベストと思った。電話の向こうの妻と娘に、元気だよと伝える。どうやらNet Live中継を見て応援してくれてるようだった、嬉しい。声を聞いて一層元気になった。

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5. レース後半 CourmayeurからFinish

いよいよ距離上のレース後半となる。ここから、体調の変調を来たしたり疲れも溜まりキツイパートになって行く。そんなとき、沿道から貰う声援がとっても元気付けられるのだが、その声援に関して。

声援について

沿道や山の中のハイカーの方々から多くの声援をもらい、とても力になった。でも、レース中は意味なんだろうと思いながら居たので後日調べた。
「 アレアレ、バーブー。?*?>L`|~ 」 と声を掛けられるが。
アレアレとは「Allez, allez」でGo, go 行け行けの意味だそう。サッカーのオレーオレーはスペイン語読み。
頑張れでも行け行けみたいなもんだと思ってThank youと返していたので大体間違ってなかった。
でもバーブー(アーブーとも聞こえた)の意味がなかなか不明だったがやっとわかった。
à vous!(ア ブ)とは、相手が一人で、年上か年下でも敬意を込めた言い方らしい。つまり、アレアレ、アーブー! は、一人に向かって「頑張ってください!」という意味だった。集団に対しては、アレアレだったのに、確かに自分一人の時にアレアレアーブと言われてるようだった。

次に多いのは、頻度が下がるが、ゼッケンの日の丸を見て、「ガンバレ、コンニチハ、ジャポン」

そして時々、「Hideshi Gann batte (ヒデシ、 ガンバッテ!)であった。名前を呼ばれると思わず顔をみて笑顔でありがとうと言ってしまう。

あと数回言われたのが、チャーヨウ!(加油!、Jia You)。そう中国語での声援。こんな時は、Xie Xie シェーシェーと即答し。

なにはともあれ、山ですれ違うほとんどのハイカーや、街の沿道の人たち、大会スタッフからの声援は途切れることなくレースの間中171kmづっと続き、心折れそうな時も、元気な時も、とても暖かい気持ちになり勇気付けられた。ありがとうございました。

体調トラブルの始まり

気持ちはテンション高く元気復活したはずなのに、エイドを出てさあ走ろうとしたら気持ちと裏腹に脚が動かない。体全体が重くだるい。

食べ過ぎか?

以前も何度かエイドで食べて元気になる時と、逆に力が出なくなる時があった。食べ物を消化するために胃や腸に血流が取られ筋肉に十分な血が流れなくなった為か食後で血糖値が下がったためかと思われた。他のエイドよりも多く食べたことが効いている気がする。いつもは、数時間も動いていると治るので我慢して進む。


この先は、4.8kmで816m上る上坂が続き、その後は起伏のあるトレイルが7.4km続く。街中の坂の途中に大きな天然の湧き水ポイントがあり、他の選手が給水している。自分はエイドでいっぱい水を入れたので通過する。

その付近で一緒になった日本の方としばし喋りながら坂を上った。

気温が上昇し陽射し強くて日よけ付きの帽子に切り替え、帽子に水を入れながら頭を冷やした。

 

 




U9(86km 関門なし 標高1981m) Refuge Bertone 到着Sa 13:38  (19:38経過)      順位 1450(+13)  時速2.7km

熱中症気味

先のエイドを出た時に記憶違いをして、このエイドの存在がないと勘違いして10km以上先まで給水ポイントが無いと思ってしまっていた。そのため、ここに来るカンカンと陽が照りつける上りで水の節約をしたために、徐々に体温が上がり喉の渇きとともに軽い熱中症の症状が出てしまった。失策だった。

また、タイツも本格的な上りの前に(牧場の一角、広い路肩で)脱いだがもっと早く脱ぐべきであった。それまで、すでに体温はかなり上がって居た。
徹夜の翌日の真昼の熱い陽射しの中、元気な人のいるはずもないのに、自分だけが体調が悪いと思い込んで居たようだった。それほど順位は変わって居なかった。ただモチベーションは、高度の上昇に反比例し徐々に落ちて行っていった。

それでもやっとエイドについた。直前にエイドが見えた時は自分の間違いを知ると共にホッとした。水だけ補給し休む間も無くエイドを出発。

 

 

このエイドを過ぎると標高2000mのなだらかな景色の素晴らしいゆったりとした起伏の草原がエイドU10(7.4km先)まで続く。というのは、力がでないのと頭が完全に暑さでぼうっとしてて歩くだけで精一杯で夢遊病者のような状況だったので記憶が曖昧。写真も立ち止まると動くのが嫌になりそうでここからしばらく撮って居ない。

力が出ず、暑さで頭もぼうとして、気力が落ちていた時

 

それでも覚えているのは、トレイルのそばの草むらの斜面の小さな木陰に寝転がっている選手があちらこちらに居て、ああやって寝転がったらどんなに気持ちいいかなーと誘惑が何度もあった。長いトレイルの中でも、この場所が後にも先にも風景といい、柔らかそうな草むらといい寝るには最高の場所だったのではないか。写真が無いのが残念。

また、高原のいたるところに小さな川が流れ、体ごと水に沈めたらどんなに気持ちがいいか。とにかく、小川を見るたびに帽子で頭から水を被りながら歩いた。

レースを通じて、風景をゆっくりと楽しめない、心折れかかって居た唯一の場所なので、もう一度元気な時に行きたいと思う。
(じゃあもう一度出るかと問われたら、今はYesとは返事できないが、、、)

 

U10(93km 関門なし 標高2025m) Refuge Bertone 到着Sa 15:32  (21:32経過)      順位 1497(+47)  時速3.9km

水のみのエイド到着。Refugeとは避難所の意味。英語と同じ綴りだが、ここは一応イタリア側だが、フランス語?イタリア語?かはわからない。

ここまでは、起伏のある高原で本来ある程度走れるところだったが歩き通した。その代わり休憩は取らない。食欲不振と軽い熱中症で多くの選手に追い抜かれた。

 

エイドを出ると暫く平坦なトレイルのあと200m下れば次の食べ物があるエイドだ(5.1km先)。この時、もう限界を感じて居た。心だけが折れかかって居た

U11(98km 関門18:15 標高1800m) Arnouvazアルヌーバ到着 Sa 16:58  (22:58経過)      順位 1566(+69)  時速3.5km

最後の下りでも走れず、大勢に抜かれてエイドに到着。
食べ物もあまり受け付けない。疲れているが熱中症による不調は肉体疲労によるものとは異なるようだ。

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リタイヤの危機

すでに体の辛さにリタイヤしたいとの気持ちが5分5分でここに到着。

エイドの隣の木立のやや開けた芝生の空き地に数十人の選手が横たわっている。

頭をスッキリさせようとホットコーヒーをもらい、自分も芝生に腰を下ろしあれこれ弱気なことを考える。

「家族に元気だよーと電話して間も無く、リタイヤしたら凄くがっかりするだろうなとか、Liveを見ている友達もどうおもうかな」とか、あれほど「ゴールまで這ってでも行くぞ」と誓ったのにとか、いろんな思いが交錯する。

また、「この先のFerret(フェレ峠)まで行ったとしても、その先Champex Lac(シャンペ湖)まで28kmを走り抜かないとリタイヤできそうなところが無い。今の自分の体力だと危険だ」という後ろ向きの大人の常識の自分がリタイヤを強く勧めてくる。「結構長く来たんじゃない、今の君にはここでやめても十分偉いとみんな言ってくれるんじゃない」とか、悪魔のささやきが惑わす。

そんな中、誰かが、リタイヤのバスのことでスタッフと話しをしている。ここに休む人の多くがリタイヤでバス待ちかと思ってもしまった。

やがて、男女二人のスタッフがたまたま近くに来た時思わず、
「リタイヤします」と言ってしまった。
(心の中で、ああ、終わったとの落胆の気持ちが湧く)

ところが、彼らから出た言葉は例の「アレ、アレ *><LOP<*+>P」だった。「アレ、アレ」しか分からなかったが、雰囲気から、「行ける行ける。頑張れ!」という意味には取れ、リタイヤを取り合って呉れなかった。自分も暫く休んで考えて見ると言って、合計40分ぐらい寝転んで休んだ。横になっても興奮してて眠れない。
関門30分前になり、起きて軽く走るがまだまだ回復してない。芝生の周りにいた選手はいつの間にか居なくなり、出口の方に様子を見に行くと、到着した選手達はどんどんと次へ進んでいた。それを見て、「はっ」として、自分も行けることろまで行こうと決心した。

あとで知るが、このエイドでのリタイヤ人数は184名と全エイドの中でも一番多かった。

Grand Col Ferret フェレ峠 (103km 関門なし 標高2528m) 到着Sa 19:19  (25:19経過)      順位 1654(+88)  時速2.8km

一度諦めたレースを再開し、4.6kmで754m上のフェレ峠目指して上る。上り始めると思ったよりは体が動いて来た。他の人にも遅れることなくついて行ける。(順位が落ちているのは、前のエイドでの休憩中に抜かれた分と思う)
調子が若干上向きだった理由は、日が翳りどうやら夕立が来そうな天候となり日差しがなくなり気温が下がって来て熱中症が治ってきたためだった。

雷雨と雹で復活

峠に近づくと周りの山々に雷鳴が時折轟くようになって来た。何度目かの雷鳴の後、突然の強風と雨と霰が叩きつけるように降って来た。選手によっては、ウェアを着込んで備えて居た人もいたが、自分はここでやっと慌ててウィンドブレーカとレインパンツを履くがかなり体は濡れてしまった。人によっては、この雷雨と雹で大会が中止になるのではと思ったそうだが、峠のチェックポイントまで行くとスタッフは何事もなかったかのように平然として、注意喚起も何もなかった。山での雷鳴の危険性含めて許容範囲と思っていたに違いない。

幸いなことに、熱中症気味だった体温、特に頭の中心が暑い症状がこの冷たい雨で冷やされて、体調が一気に回復したのだった。

さあ、次は2つのチェックポイントとエイド1つを含み、1800m連続して下るトレイルだ。また、夜になるため景色とは翌朝までお別れだ。

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U12(112km 関門22:30 標高1601m) La Fouly 到着 Sa 21:23 (27:23経過)      順位 1616(-38)  時速4.6km 

日の沈んだトレイルを9.7km、1123m下ってエイドに到着。

体調が復活しお腹が空いたのでエイドであれこれ食べ21分過ごしてしまった。

そして元気にSa 21:44エイド出発。この先550m下り450m上り返して14km進めば、とうとう大きな目標のシャンペ湖だ。そこまで制限時間内に行ければ、完走は固いと言われていたエイドだ。

すでに完走の可能性が高くなり、つくづくリタイヤしなく良かったと思いながら元気に出発する。

 

これは幻覚か?

2晩目の夜のパートとなり、次のエイドまでの長い下りで、やはり一種の幻覚のようなものを感じながら下っていた。シャンペ湖エイドの位置を下りの途中にあると勝手に思い込んでいたことからはじまるのだが、
「ながーい下りの途中に海が見渡せる温泉施設ようなオアシスがシャンペ湖エイドだという幻想が勝手に頭の中に出来上がっていて、なんかワクワクしながらシャンペ湖を目指していたのだ。暗闇で周りの景色は見えず、アルプスを走っているのにも関わらず、日本の群馬や伊豆のあたりのトレイルを走ってる感覚がづーっと続いていた。そのため、いきなり上りが始まり450mも上るとは思ってなかったので驚き、上りの心の準備も無くエイドまでは苦しかった記憶があった。

 

 

U13(127km 標高1473m) Champex-Lac 到着 Su 00:54(関門02:30、経過30:54)      順位 1469(-147)  時速4.4km 

そんな幻覚を見ながらも、とうとう目標のシャンペ湖に到着。

関門の1時間30分前に到着し、大夫遅れを挽回した。眠気も無い。

ここで、再びサポータのヨシローさんと会う。作ってもらったしょうゆ味の温麺が胃と体に沁みた〜。このレース中で一番美味かった。その次は何かといったらスイカ。

このエイドで、先に進んでいるはずの中村さん(スタート直前に固い握手してFinishを誓った)がやって来た。なんと給水ボトルを忘れて5km進んで戻って来たそうだ。山の5km往復10kmは心折れる。が、時間は全然問題ないので頑張れー。
エイドでの他にあまり食べるものもなく、固形物を多く食べるのを避けるようにした。
このエイドまでくれば、山を3つ越えればゴールだ、歩いてでも行けるとのヨシロウさんの励まし見通しに心が軽くなる。あとは、怪我など不測の事態さえなければ完走できると思い、疲れているが楽しい気分であった。

ここで32分も休憩し出発。

いざ、一つ目の山へ 

シャンペ湖エイドを出ると、選手もまばらとなっていた。暗闇の中湖畔を歩く。明るい時であれば、きっと風光明媚なところだろうと思われた。ゆるい上りとゆるい下りを4.8km進んだあと6.5kmの上りだ(754mの標高差)。暗くて全体は見えないが上は標高2000mの牧場のようだ。6km続く上りで疲れたので休みたいと思ってはいたが、ここは体感5℃で寒くて低体温も心配で路傍に横たわる気はしなかった。ただ、2名ぐらいはこの寒さの中横たわっているのを見たが。緩やかな山頂を進むと牧場の中の納屋のようなところにチェックポイントがあった。

La Giète(km) 1つ目の山1886m   到着Su 05:17 (35:17経過) 順位1451(-18)時速3km/h

一つ目の山に到着

中に入ると、牛の匂いが充満してはいるが暖かだった。水をホースから汲めた。多分湧き水と思われる。そこで、暗い壁際の狭いベンチに横たわる人や腰掛ける人がおり、ここで少し眠ろうと決めた。狭い板に浅く腰掛け背中を壁にもたれかけると安心して少しまどろんだ。幻覚ではないが夢を見ていたようだった。このレースで初めて眠った。多分10分ほど。気持ちよかった。

納屋を出ると次のエイドまでは5.8kmで660m下る。途中、空が明るくなり始める。

U14(143km 標高1301m) Trient 到着 Su 6:49(関門08:00、経過30:49)     順位 1487(+36)  時速3.3km 休憩16分

先の納屋で眠った分順位が後退した。関門までは1時間10分ある。
ここはまたサポートが居る。若いKobayashiさんがあれこれと気を使ってくれる。感謝。ただエイドにあまり食べるものがなく、食べたいものもない胃腸の状態であった。すでに、エネルギーは固形食からジェルだよりなっていたのだ。胃腸の負担をかんがえるとジェルが飲めるだけ調子がいいということだろう。

エイドの給食が乏しい理由

自分の順位は1500番あたりであまり変わってわいないのだが、リタイヤ数をみると900人以上はここに到達していない。最終的なFinisherが1556人なので、自分より後ろにはもう100人も居ないのだ。だから、エイドの給食も乏しいということだった。レース中はそんなことはわからなかったが。

 

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2つ目の山を目指して

エイドを出るときは関門55分前だったが、ほとんど気にしていなかった。残り28km先のゴールを確信し、余裕もってゆっくりしたペースで進んでいたので、いざとなれば走る積もりでいたからマージンは十分と見込んでいた。

エイドから直ぐに標高差820mの急登が始まる。一つ目の山より急勾配だ。やはり上りは辛い。陽が上り始めていたが、昨日よりは気温が低いので助かった。この頂上もやはり牧場だった。

Les Tseppes(km) 2つ目の山 1931m 到着Su 08:34 (38:34経過) 順位1452(-36)時速2.2km/h

牧場の道の途中でチェックを受けて、やがて下りが始まる。

次第に足の指が痛くなる

いつから痛いのかわからないが、足の指が痛み始めていた。フェレ峠の雷雨で足がずぶ濡れになったため足がふやけた。くつ左足の子指と親指、右足の薬指にでかいまめか爪の圧迫で水膨れができてるのだろうと思った。ここは我慢だが、下りは特に痛く徐々に走るのが辛くなって居る。指は下りの時に靴の中の足が前方にズレようとするため、接触する両脇の指や前に出張ってる爪(右足薬指)などが繰り返し摩擦と圧迫により、徐々に炎症を起こし水ぶくれとなる。靴下と靴の再調整をすることも手だが、時間もかかるし治る保証はないため、ゴールまで我慢大会が続く。

下りの途中に羊の群れの間を通ったが、駆け抜ける人も居たが私はかけることもできず静かに通った。本来なら走れるところで歩き通したため何人もの人に追い越された。また、周りに人がいないので羊の中で思いっきり羊の鳴き声を何度も真似して見た。自分では結構似てると思ったのだが、どの羊も振り向いてはくれなかった。

さあ先を急ごうと、歩く、、、。

U15(154km 標高1282m) Vallorcineバロルシーヌ 到着 Su 10:26(関門11:15、経過40:26)     順位 1482(+30)  時速3.9km 休憩12分

エイドが近づくと、なんとレース中の筈の仲間のコマツさんが現れた。一瞬訳が分からず驚いた。Finishが早くて余裕で応援に駆けつけてくれたのかと思ったら、何と練習不足が祟りU3あたりの関門で捕まったとのこと。そんな傷心を抱えて、列車に乗って迎えに来てくれた。本当にありがとう!

このエイドまでは、下りを走れなかったためすでに疎らな集団なのに多くの人(30人)に追い越された。

ここは、最後のサポートエイドで此れまで来ていたUTMF 2019のシャツとインナーのスキンメッシュも脱ぎ、軽量の速乾性シャツに着替えてゴール仕様にした。歩いてでも間に合うとのヨシロウさんの声とコマツさん、コバヤシさんの声援を背に、関門閉鎖まで40分を切り、18km先のゴールまでの最後の3つ目の山に向かう。この山が曲者だった。結果として一番苦しかったのがこの山越えだった。

 

ゆるーい上り傾斜の道を数km進む。その途中ハイカーや選手の家族と思われる人たちが車を降りて声援を送ってくれた。この先に待ち構える巨大な岩山の事は全く知らなかった。

その山に近づくと、垂直に切れた岩肌に選手が下からはるか上までつづら折りになって進むのが見えた。ちょっとこれまでと違う上りだと思った。実際上り始めると、全てが岩から出来たゴツゴツのトレイルで斜面を歩くというより、大小の岩を一歩一歩体を持ち上げて登っていくような文字通り岩だらけの山道であった。

上っても上っても頂上が見えず。Mapで見た600mの上りとは到底思えない高さに感じた。日差しはまた強くなり意識もまた朦朧として上りながら幻覚見ながら登った。もちろん目は開いているのだが、自分が今レースに出ているというより、何か奴隷の様に物を高い所へ何度もなんども繰り返し運ばされて居る状況に居るんだと錯覚していた。時々我に帰るが、直ぐにぼうっとした頭で、同じ幻覚を見続ける。これが頂上のゆるい傾斜になるまで長くつづいた。実際のレース中は、これを幻覚とは思わなかったが、後で振り返るとあれが幻覚だったのかと思った。

あまりの辛さにとうとう石に腰掛け2分ほど休んだ。辛くても我慢して進むことが多いので、路傍で休むのは自分としては珍しいのだ。UTMBで一番辛かったところはどこですかと言われたら、リタイア仕掛けたところでもなく、間違いなくこの岩山である。写真も何も残っていないのが残念。(スマホの電池残量も少なく写真を諦めていた。モバイルバッテリーも残り少なくなっていた。Googleのストリートマップより)

山頂は広く岩だらけで道を歩くというより大きな石だらけの河原をあるくような状態がずーっと先まで続く。あの向こうには下りが待ってると思ったら何度も裏切られた。指は痛いし前ももも痛い。大きな岩から下に降りる度に、痛ーいの連続。同じサポート仲間のコミネさんが何とワラチーで軽快に、前もも壊れた壊れたと言いながら追越していった。つわもの、いや本人は「くの一」とのこと。後で聞くと、眠気に負けて遅くなったとのことで、僕よりは走力があります。また、この岩山附近で、前の会社の若い同僚が抜いていったと後で知り、そんな園で打ち上げをやることになった。それはまた後日)

 

やっと、起伏が減り見通しの良い平原チックなところにでると右側の山肌から滝が流れ小川となり、橋の袂で興じて居るハイカーが沢山いた。ああ、あの水を浴びようかと何度か思ったが、足をここで濡らしたら最悪と諦めた。

ながーいながーい岩山を終わるとエイドがやっと見えて来た。
もう10kmどころか15kmは来たぐらい辛かったので、How long to finishと聞くと、8kmとの返事。ああ、まだそんなにあるんだと。

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U16(165km 標高1882m) La Flegere 到着 Su 14:40(関門11:15、経過44:40)     順位 1521(+48)  時速3.4km

両足、両もも、特に足の指が痛くて走れず、ここで48人に抜かれた。多分30分ぐらいの違いがある。

エイドを抜けると林道の下りとなり、あのChamonixまで8km、痛みさえなければ1時間もかからない。多くの人が歩いて居る。その中でも前を行く3人つれが横に広がりのんびり歩いてて、なかなか走らない。ゴールギリギリになって走るのは目に見えて居るので、自分は今の内からはしることにした。足の水ぶくれになってる指の悪化も、最後と思えば悪化してもいいやというつもりだ。太ももの痛みは痛みをこらえて走り続けると痛みが和らぐことを知って居るので、そこは心配ない。多くの人が歩いていたが、自分が走って追い越すと、何人かはついて走ってくる人がいた。終盤女性がしばらく付いて来た。また街に近づくと、声援がAlex、Aleではなく、Congraturation!に変わった。それがとても嬉しかった。とうとUTMBを完走するんだという夢に見た目標がもう直ぐ実現するのだ。先の女性と何度も並走したので、坂が終わり街に入ると声を掛けてゴールを目指した。

 

街に入ると、コマツさんが待って出迎えてくれた。しばらく行くと、今度は女性の知り合いがマレーシアの国旗を持って出迎えていた。そこで別れ、コマツさんと最終のFinishラインを目指す。足の痛みは感じない、この瞬間が長く続けばいいのにと思った。沿道の声援とその中に、タカシマさんら同宿メンバーの顔も見つけさらに感極まる。やがて、ゴールへの角を曲がると左右に声援を送る人々が見え、左側の人達とハイタッチをしながらFinishラインを越えた。3、4年間の夢を実現した瞬間だった。

 

ハイタッチしながらのFinish Scene 動画音声注意(コマツさん撮影ありがとう)

 

ハイタッチしながらゴール! 最高の気分でした。

 

FinisherのみがもらえるUTMBのFinisher’sベスト。

  

完走の証

 

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6.サマリー

レースの振り返り

制限時間24分前のFinishだけど、レース中盤以降に体調が復活した後は、不思議にゴールできることを疑わず心に余裕を持って走れた(いや、正確には歩いた)。今年のUTMBは天気が比較的安定していた。それでも完走率が61%。日本人だけだと50%の完走率で、60歳以上のカテゴリーでは38%まで完走率が下がってた。その中で自分の走力で完走できたのはとてもラッキーでした。

ライトの故障をサポートに助けられ、体調不良でリタイアを申告したときに、頑張れと申し出を軽くスルーしてくれたスタッフ、サポートの方々から各エイドで精神的な援護と物理的な支援をもらった、宿の仲間との交流、それと一緒に走った選手全員、沿道とスタッフの声援、日本からの応援とプレッシャー(完走しないと帰れなーい)のおかげで、力をもらい完走できました。

これほど、他の人にありがたみを感じた出来事はそんなになかった。ありがたい。

諦めないと口で言うのはたやすかった。本当に諦め無いで続けるのは、他人の力も必要だと今回学んだ。

 

 

 

リタイア率推移

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感謝

チャレンジを許して暖かく送り出し応援してくれた妻、レース当日が誕生日で結婚以来初めての不在となり、母さんが寂しいだろうと泊まりにきてプレゼントもくれた娘、そしてネットで仕事中も応援してくれた婿、ありがとう。

Facebookなどで応援してくれたトレラン友達、ラン友、トライアスロン仲間は動画の応援メッセージをくれた、異業種勉強仲間もたくさんの応援メッセージをくれた。そして、サポートのヨシロウさん、モリさん、コバヤシさん、サポートがなければ完走できてませんでいた。同宿の仲間、家族のような感覚でリラックスできレース中も顔を見たりして元気になれた。

みなさん本当にありがとうございました。

自分の力だけでは完走は難しかった。いろんな人の手助けや有益な情報、応援、彼ら彼女らの存在自体で力をもらえ、運も引き寄せることができたと思う。また、諦めないと言うは易しいが、一度はリタイヤを申告した弱い自分がいる事もはっきりした。そして、ちょっとした励ましと挑戦の小さな一歩が、夢を繋いでくれた。いろんな感謝と学びの多い、とっても楽しいレースでした。

これで僕もマイラーだー!

(2019.9月@日本)

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